藤原基央の「歌詞のチョイ替え」9選
こんにちは、UMAです。またもご無沙汰しております。
今回もBUMP OF CHICKENの話です。
(このブログ、もともとはプログラミング技術の備忘録だったんだけどなぁ……。)
BUMP OF CHICKENのほぼすべての楽曲は、
ボーカル&ギターの藤原基央によって製作されています。
特に、藤原の書く歌詞の世界観は多くの人に支持されており、
BUMPの魅力の一つとなっています。
そんな藤原基央の歌詞には、しばしば前に出てきた詩を微妙に替えた
「チョイ替え」が見られます。
今回は、その「チョイ替え」の中でも個人的に好きなものを9個ご紹介したいと思います。
※ この記事では、
として書いています。
最も古い?チョイ替え
数あるチョイ替えの中でも、最も年代が古いのが「ギルド」のこのフレーズだと思います。
たった1文字違うだけなのに、ラスラビでもう一度出てきた時の印象が全然違う。
文脈とわずかなニュアンスの差によって、ほとんど同じ言葉が同じに聴こえない。
この辺が藤原基央の「上手さ」ですね。
気付いたら入れ替わっている系
全く同じ言葉を使っているのに、2回目に出てくる時に順番が入れ替わっている場合があります。
そんなチョイ替えがこちら。
1つ目が「ラストワン」。
どちらの言い方でも、心にグサッと来る。
1番サビだけでもかなり刺さるのに、ラスサビでさらにえぐられる。
2つ目は「分別奮闘記」。
1番で出てきた時は「そうか」ってなるだけなのに、最後に出てきた時に
「夢」と「ゴミ」が
入れ替わってると「えっ」となる。入れ替わっているだけなのに。
一見入れ替わっているように見えないが実は入れ替わっている、そんなものもあります。
それが「GO」の、曲のラストに出てくるフレーズ。
何かが
漢字で書くと入れ替わりがわかりづらいですが、ひらがなにすると
なにかがかわったわけじゃない
なにかがわかったわけじゃない
と入れ替わっているのが解る。
ここまで来るとあまりに秀逸で語る言葉を失う。
人が増えたり減ったり
藤原基央の歌詞のチョイ替えは、歌詞の印象を変えるだけにとどまらない。
藤原は歌詞をわずかに替えることで、さっきまでいた人をどこか遠くへ行かせたり、
逆にいないと思っていた人を突然出現させたりします。
まず、曲が進むと1人増えているパターン。
「宇宙飛行士への手紙」がそれだ。
曲の物語を辿って最後まで来ると、はじめはいなかった「もう一人」の踵2つが増えて
全部で4つの踵になる。
かけがえのない仲間が増えたような、なんとなく嬉しい気持ちが湧いてくる。
次に、「実はコイツいたんだ」と気付かされるパターン。
「アリア」のラスサビ後のフレーズを見てほしい。
あの日君
「君がいた」ことはちゃんと覚えていても、「そこに自分もいた」ことを忘れてはいないか?
たった一文字替えるだけで、藤原はそんなふうに「自分」を思い出させてくれる。
逆に、誰かがいなくなったのを知らされるパターン。
それが「宝石になった日」の大サビ。
増えていく君
君を知らない世界、つまり「君がいない」世界が続いていく。
その世界は君から見れば「君の知らない世界」。
そうやってだんだんと君から離れていく、そんな切なさがこみ上げて来る。
こういう切ない描写が、ある意味で藤原基央の世界観の本質だと思っています。
過去と現在
藤原基央は、歌詞を替えることで時間の前後を痛烈に印象付けます。
次の2つは、それが特に秀逸なもの。
1つは、「記念撮影」。
1番の時点でコーラを挟んで話をしていた相手が、3番になるといなくなっている。
一瞬でその相手がいたのが「過去」だと思い知らされる。
もう1つが、「ゼロ」。
これも、大切な人が今はいないことを痛感するパターン。
2番サビの時点ではすぐ隣にいる人の存在が、ラスサビでは過去のものになっている。
それだけで、どうしようもなく切なくなる。
チョイ替えはほかにも
今回はBUMP OF CHICKENの楽曲の中から、個人的に好きな「歌詞のチョイ替え」を
全部で9個ご紹介しました。
これ以外にも、BUMPの曲には歌詞が微妙に替わって出てくるものがたくさんあります。
BUMPの曲を聴く時には、ぜひ「チョイ替え」を探してみてはいかがでしょう?